2021年8月第1号
夏になると冬がよいという
冬になると夏がよいという
それは自分勝手というものだ
夏には夏のよさ
冬には冬のよさを
味わいたいもの
解説
人間というのは自分勝手に物事を考える凡夫である。親鸞聖人も煩悩から抜け出せず、自身悩まれ、苦しんだ一人である。
自分の都合のいいように物事を解釈し、自分にとって都合の良いものを「善」、都合の悪いものを「悪」とする。その判断は全て自分次第であり、変化する。夏になると暑いから早く冬がきてほしいと考える。四季というのは、自然現象であり、人間の思い通りになる事ではない。それを人間は都合の良いように考え、解釈し、発信する。
そうではなく、夏には夏にしか出会えない気づき、発見に沢山触れ、冬には冬にしか出会えない気づき、発見に沢山触れ、四季を感じながら生きたいもの。それはその時によって見方も感じ方も違ってくる。ということを伝えたいのだろう。と感じた。
現代社会では「善・悪」「白・黒」「表・裏」「敵・味方」のように直ぐに二極化し、答(応)えを求めがちだ。そして、目に見えるもの、結果につながるものしか信用できない。法話にある「夏と冬」は比べるものでもなく、善悪を付けるものでもない。仏教に言い換えると、浄土に行けるかどうかを求めるのではなく、その時その時を(過程)自身と向き合い、生きることが大切であると思う。
ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし…
歎異抄 聖典627頁
この言葉こそが、浄土に行けるか行けないかという結果ばかりを気にするのではなく、ただ念仏すること(過程)が真実であるということを強く伝えていると解釈した。